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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)8328号 判決 1996年3月21日

原告

太田壽一

ほか四名

被告

島田雄次

ほか二名

主文

一  被告らは、連帯して、原告太田壽一に対し、金二六五万一五〇六円、同太田勝洋、同松本隆子、同伊佐治順子、同相川宗男に対し、各金二〇三万八〇〇六円及び右各金員に対する平成二年一一月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用と被告らに生じた費用については、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とし、補助参加人に生じた費用は、同人の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

(略称)以下、原告太田壽一を「原告壽一」と、原告太田勝洋を「原告勝洋」と、原告松本隆子を「原告隆子」と、原告伊佐治順子を「原告順子」と、原告相川宗男を「原告宗男」と、被告島田雄次を「被告島田」と、被告濱田健二を「被告濱田」と、被告後藤弘を「被告後藤」と、被告後藤弘補助参加人楠常夫を「補助参加人」と略称する。

第一請求

被告らは、各自、原告壽一に対し、金七〇九万四八八四円、原告勝洋に対し、金四九九万二〇四〇円、原告隆子に対し、金五一二万八二九〇円、原告順子に対し、金五〇四万四一五〇円、原告宗男に対し、金五一〇万〇四四〇円及び右各金員に対する平成二年一一月二四日から各支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、救急用自動車と普通乗用自動車が交差点で出会い頭に衝突し、救急用自動車の同乗者が、骨折等の傷害を負い、約二か月後に死亡した事故につき、同乗者の遺族が、両車両の運転者に対し、民法七〇九条に基づき、救急用自動車の運転者が勤務する病院の院長に対し、同法七一五条、自賠法三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。

二  事実(証拠摘示のない事実は争いのない事実である。)

1  本件事故の発生

(一) 日時 平成二年一一月二四日午後〇時二五分

(二) 場所 大阪府大阪狭山市大野台一―二五―一八先の交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 被害者 太田安造(以下「安造」という。)

(四) 事故車両 被告島田運転の普通乗用自動車(和泉八八す九三〇、救急用自動車、以下「島田車」という。)及び被告濱田運転の普通乗用自動車(なにわ五五ほ五二八九、以下「濱田車」という。)

(五) 事故態様 安造が、島田車に乗せられて、近畿大学医学部附属病院(以下「近大病院」という。)から河南病院に搬送されていた途中、島田車と濱田車が衝突し、安造は左鎖骨々折、左第四、五肋骨々折、左肩甲骨々折、外傷性血胸、頭部外傷Ⅱ型の傷害を負つた(傷害の事実につき丁二、事故態様につき、被告後藤に関し、弁論の全趣旨)。

2  安造の死亡

安造は、本件事故当日から河南病院に入院していたところ、平成三年二月六日死亡した。

3  安造の権利の承継

安造の相続人は、子の、原告壽一、同勝洋、同隆子、同順子及び相川晶子の五名(相続分は各五分の一)であるところ、相川晶子は、平成六年一二月五日死亡し、同人を、夫の原告宗男が相続した(甲一の1ないし5、二ないし八、弁論の全趣旨)。

三  争点

1  被告らの責任の有無

(一) 原告らの主張

(1) 被告島田は、島田車が同被告主張のとおり、緊急自動車であつたとしても、対面信号が赤色を表示していたから、左右の安全を確認したうえ、徐行して本件交差点に進入すべき義務があるのに、これを怠つた過失があるから、民法七〇九条に基づく責任を負う。

(2) 被告濱田は、島田車が右方から本件交差点に進入してくるのを予測していたから、交差点の手前で一時停止すべき義務があるのにこれを怠り、仮に、右義務がなかつたとしても、前方注視、左右確認、徐行義務を怠つて、本件交差点に進入した過失があるから、民法七〇九条に基づく責任を負う。

(3) 被告後藤は、島田車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条の責任を負う。また、同被告は、河南病院の院長として、被告島田の使用者であり、本件事故は、患者搬送という、被告島田の業務遂行中に発生したものであるから、被告後藤は民法七一五条に基づく責任を負う。

(二) 被告島田の主張

被告島田は無過失であり、本件事故の責任はすべて被告濱田にある。すなわち、被告島田は、救急車(道路交通法にいう緊急自動車)である島田車を運転し、サイレンを鳴らして走行していたから、対面信号が赤色であつても停止する義務はないし、本件交差点に進入するにあたり、徐行して、左方を確認したところ、サイレンを聞き、島田車の接近を認めて、濱田車の先行車両(以下「停止車両」ともいう。)が停止したのを確認し、もはや左方から車両が進入してくることはないと判断して、交差点に進入したから、過失はない。

被告濱田は、緊急自動車である島田車がサイレンを鳴らして走行し、先行車が交差点手前で、これに応じて道路左側に停止したために、右車両を左折車両と誤認して、一時停止することなく、停止車両を追い越して本件交差点に進入したものであつて、同被告には一時停止義務違反及び安全確認義務違反等がある。

(三) 被告濱田の主張

被告濱田は無過失であり、本件事故の責任はすべて被告島田にある。すなわち、被告濱田は青信号に従つて本件交差点に進入したものであり、また、島田車は救急用自動車ではあるが、道交法上の緊急自動車には該当しないから、被告濱田には、一時停止義務はないし、停止車両を追い越した事実はない。仮に、島田車が緊急自動車であつたとしても、被告島田には原告主張の過失があり、さらには、サイレンを的確に鳴らさなかつた過失がある。

(四) 被告後藤の主張

被告後藤は、島田車を保有していなかつたし、被告島田の使用者ではなかつた。本件事故当時の同被告の使用者は、株式会社セントラル医療システムである。

2  本件事故と安造の死亡との因果関係

(一) 原告らの主張

安造は、本件事故による前記受傷のため河南病院のICU(集中治療室)において治療を受けていたところ、平成二年一一月二六日、ICU症候群(集中治療室に隔絶されることが原因で発生する不穏状態)を発症したため、同月二八日、睡眠薬(ベンザリン)が投与された。右服用により、翌二九日、睡眠中に舌根沈下を起こし、呼吸停止、心停止状態となつた。以後、安造は、意識を回復せず、いわゆる植物状態となり、平成三年二月六日、衰弱死した。

右のとおり、本件事故と安造の死亡との間には相当因果関係がある。

(二) 被告らの主張

安造の死亡は、既往症の低酸素血症(慢性呼吸不全)、脳梗塞、脳動脈硬化等に起因するものであつて、本件事故と安造の死亡との間に相当因果関係はない。

すなわち、本件事故による外傷は順調に回復していたところ、本件事故前から安造に現れていた痴呆状態のために、昼夜逆転現象という不穏状態が生じたものであつて、ICU症候群とは異なる。また、舌根沈下も、ベンザリンの投与が原因ではなく、既往症の多発性脳梗塞、脳動脈硬化、低酸素血症等の増悪に由来して突発的に起こつたものである。

3  損害

(一) 原告らの主張

(1) 安造の損害 二四九六万〇二〇〇円

<1> 逸失利益 六八七万〇二〇〇円

安造(本件事故当時七三歳)は、恩給の傷病年金一一四万四〇〇〇円、国民年金二五万〇五〇〇円、厚生年金四万六七〇〇円、年額合計一四四万一二〇〇円の支給を受けていたところ、平均余命の約一〇年間、右支給を得られたから、生活費控除を四割として算定すると、次のとおりとなる。

144万1200円×(1-0.4)×7.945=687万0200円

<2> 慰謝料 一八〇〇万円

<3> 入院雑費 九万円

一日あたり一二〇〇円として入院日数七五日分。

1200円×75=9万円

(2) 原告ら固有の損害

<1> 原告壽一 二一〇万二八四四円

<ア> 付添費用 三三万七五〇〇円

原告壽一の妻太田典子(以下「典子」という。)が前記七五日間安造を介護したところ、右費用は、一日あたり四五〇〇円が相当である。

4500円×75=33万7500円

<イ> 葬式費用 一五〇万〇〇六四円

<ウ> 交通費 二六万五二八〇円

安造の介護のために要した、原告壽一と典子の交通費。

<2> 原告隆子 一三万六二五〇円

同原告の交通費。

<3> 原告順子 五万二一一〇円

同原告の交通費。

<4> 原告宗男 一〇万八四〇〇円

相川晶子の交通費。

(二) 被告島田及び同濱田の主張

安造の受給していた各年金は、同人の生活保障、損失補償を目的とするものであつて、右年金受給権はいずれも一身専属性を有するから、逸失利益とはならない。

第三争点に対する判断

一  被告らの責任の有無(争点1)

1  前記第二、二記載の事実に、証拠(甲一〇、一五、三七、三八、四一、乙一、二、丙一、二、四、検乙一ないし八、原告壽一、被告後藤、同島田、同濱田)及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(一) 被告後藤及び同島田の地位

被告後藤は、昭和五八年九月、医師として河南病院を開設し、同病院を経営してきたが、昭和六一年二月、同病院の経営権と建物とを東洋フアクタリングシステム株式会社(旧商号株式会社ダイエーリース)に譲渡した(但し、建物については、河南病院開設時に、同社から融資を受けていたため、代物弁済により所有権移転した。)。

その後も、被告後藤は、河南病院の院長職に留まり、同病院の管理者として、医療面その他に関し、指揮をとつていた。そして、河南病院の経営権及び建物の所有権は、その後の昭和六三年八月、株式会社セントラル医療システムに、平成三年五月補助参加人に移転したが、被告後藤は、同年六月まで、従前どおり、院長職にあつて、管理者として、医療面その他の指揮をとつていた(被告後藤は、同月一四日院長職を解任された。)。

被告島田は、本件事故当時、河南病院医事課に勤務し、患者搬送業務等に従事していた。

また、被告後藤は、本件事故当時、島田車の自動車登録上、同車の使用者であつた(所有者として登録されていたのは、日産カーリース株式会社である。)。

(二) 本件事故に至る経緯

(1) 安造(大正六年二月二二日生、男性)は、昭和五六年ころ、脳血栓を患い、二か月の入院等を経て改善したものの、歩行障害が残つた。その後、リハビリを続けていたが、平成元年七月に転居したため、リハビリを中断していたところ、歩行障害が進み(五〇メートルでしんどい)、近医で糖尿を指摘されたことや、食事をしたことを忘れるといつた症状が出てきたため、平成二年一〇月一一日、原告壽一に連れられて、医療法人守田会オリオノ和泉病院(以下「オリオノ」という。)で診察を受けた。そして、同病院で各種検査を受けたところ、胸部のX線撮影で、右肺に異常陰影が見られたので、同月二六日、胸部のCT検査を施行したところ、肺動脈後方から気管支6にかけてリンパ節の腫大が認められたため、「右肺リンパ節腫大」と診断された。また、長谷川式簡易知能評価スケールは、二〇点であり、中等度異常で痴呆状態(老人については、二〇ないし二五点以下が痴呆状態、一〇点以下がほぼ痴呆とされている。)と診断された。その他の検査やその後の検査の結果は、頭部CTで古い脳梗塞と脳萎縮が認められ、胸部のMRI検査では、右中間気管支外側及び内側に直径二センチメートル弱のかたまり状の損傷が認められ、腹部エコー検査で胆石が認められ、血液検査では空腹時血糖が認められた。

オリオノの担当医は、右胸の異常陰影につき、右リンパ腺症と診断したものの、肺癌か、結核の可能性もないではないと考え、さらに精密な検査をするため、同年一一月二二日、近大病院第四内科(呼吸器科)に安造を紹介した。

そこで、安造は、同月二四日、孫(原告壽一の長男)の太田純矢(以下「純矢」という。)に連れられて同病院に通院し、労作時呼吸困難(体を動かしたとき息苦しくなる。)を訴え、呼吸困難度はHJ(ヒユージヨーンズ)(HJとは、息切れの分類であり、一度は正常、二度は軽度息切れ、三度は中等度息切れ、四度は高度息切れで、休み休みでないと五〇メートルも歩けない程度、五度は最高度息切れである。)四度程度と診断され、臨床化学検査(血液ガス酸塩基平衡)の結果、血中の酸素分圧が五五・一mmHgで、正常値(九五ないし一〇五mmHg)より低かつたため、「低酸素血症」と診断され、入院することになつたが、近大病院は満床であつた。

(2) 近大病院第四内科は、本件事故当時、河南病院との間で、近大病院が満床のときは、患者を近大病院から河南病院へ搬送し、同病院で近大病院第四内科から派遣された医師が診るという提携関係を結んでいた。河南病院には、患者搬送用に、救急用自動車(島田車)及び通常の車両があり、後者は座位での患者搬送に使用されていた。救急用自動車には酸素吸入、喀痰吸引等の救命設備があり、赤色灯が前方及び両側に付けられ、警告音(サイレン)が発せられるようになつていた。

河南病院の医事課に勤務する被告島田は、本件事故当日の午前一一時三〇分ころ、河南病院内科の瀬口医師から、近大病院第四内科から患者(安造)の紹介があつたので、救急用自動車で搬送するよう指示された。その際、詳細は、近大第四内科の杉原医師から連絡がある旨告げられていたころ、約一〇分後に、被告島田は杉原医師から、ストレツチヤー(患者を寝させたまま救急用自動車に乗せる道具)での搬送が必要であることや安造の年齢、性別、疾患等を告げられ、午後一二時一五分に迎えにくるよう依頼された。そこで、被告島田は、安造を救急外来で受付けて入院させるべく、救急外来の医師らに連絡の上、午後一二時五分ころ、同僚の山本を同乗させて、島田車を運転し、河南病院を出発した。

被告島田は、午後一二時一〇分ころ、近大病院に到着し、内科外来処置室に赴いたところ、安造は、ベツドに横たわり、酸素吸入を受けていた。そこで、被告島田は、杉原医師に、車中での酸素吸入の必要性を尋ねたところ、同医師は、五分で河南病院に到着できるのであれば、その必要はないと答えた。そこで、被告島田は、安造を抱きかかえて、ストレツチヤーに乗せ、そのまま島田車に運び、純矢を同乗させて、午後一二時一五分ころ、近大病院を出発した。その際、被告島田は、サイレンを鳴らし、ライトをハイビームにしたうえ、時速約六〇キロメートルで走行した。

(三) 本件事故の状況

本件事故現場は、東西方向の道路(以下「東西道路」という。)と南北方向の道路(以下「南北道路」という。)が交わる、信号機によつて規制された交差点(本件交差点)であつて、その状況は、別紙図面のとおりである。

本件事故現場付近の道路は、アスフアルトで舗装されており、平坦であつて、本件事故当時、路面は乾燥しており、最高時速は四〇キロメートルに規制されていた。本件事故現場は市街地にあり、交通量は、南北道路のほうが頻繁であり、両道路とも追越し禁止の黄色のセンターラインが引かれており、いずれも前方の見通しはよいが、左右の見通しは悪い。東西道路は、東行車線の幅員が四メートル、西行車線の幅員が三・六メートルである。

被告島田は、島田車を運転して、南北道路を北進し、本件交差点の手前三〇ないし四〇メートルの同図面<1>地点(以下、符号のみを示す。)に至り、対面信号<甲>が赤であることを確認し、サイレンをピーポー音(低い音)に加えウウーン音(より高い音)を鳴らし、速度を時速約一〇キロメートルまで減速し、対面信号が赤のまま、本件交差点に進入しようとし、<2>に至つた。そして、左右を確認したところ、左方に停止車両がのやや前方(には至らない。)に停止しているのを認め、もはや左方から車両が進行してくることはないと思い、再度右方を確認し、進入車両がないことを確認したうえで、<3>で加速して、本件交差点に進入した。

一方、被告濱田は、FMラジオを聞き、窓を閉めたまま、時速四五ないし五〇キロメートルで、濱田車を運転して、東西道路を東進し、本件交差点の手前約二〇メートルの<ア>地点で、右停止車両を認めた(被告濱田は、停止車両の位置につき、◎である旨供述するが、同被告は、事故直後に行われた実況見分の際にはに停止していたと説明していることや停止車両が左折ウインカーを出しているのは見ていないと供述していること等に照らし、同被告の前記供述は信用できない。)が、これを追い越そうとして、<ウ>に進んだとき、<3>に島田車を認め、ブレーキを踏んだが間に合わず、<エ>で自車左前部を島田車の左側面後部に衝突させ、同車を転倒させた。

なお、被告濱田は、島田車はサイレンを鳴らしていなかつたため、サイレン音は聞いていない旨供述するが、同被告は、本件事故当時、窓を閉めてFMラジオを聞いていたこと、のやや前方に、右のとおり車両が停止したこと、島田車に同乗していた純矢はサイレンを鳴らして交差点に進入したと言つていること(原告壽一)等に照らし、被告濱田は、島田車が鳴らしていたサイレンに気づかなかつたと推認できる。

2  右に認定したところによれば、次に説示するとおり、被告らには、本件事故につき、責任が認められる。

(一) 被告島田の責任

島田車が道交法三九条二項にいう、緊急自動車に該当するとしても、左方の安全確認が十分でなかつた(同法七〇条)点に過失が認められる。すなわち、被告島田としては、赤信号にもかかわらず、交差点に進入することはそれ自体危険性の高いものであり、島田車の鳴らすサイレンの音を聞き逃して交差点に進入する車両のあることも予想し得ないことではないので、左右の安全を確認し、徐行して交差点に進入すべきであるところ、同被告は、前記停止車両があり、濱田車の進行する東西道路に黄色のセンターラインが引かれていることに気を許して、前記程度に減速したのみで、本件交差点に進入したものであるから、左方の安全確認義務違反が認められ、本件事故につき、民法七〇九条の責任を負う。

(二) 被告濱田の責任

被告濱田は、制限時速が四〇キロメートルに規制されていたにもかかわらず、右制限速度に違反し、時速四五ないし五〇キロメートルで走行したうえ、追越し禁止の規制がなされていたにもかかわらず、本件交差点手前で停止していた前記停止車両を追い越して、本件交差点に進入した過失があるから、本件事故につき、民法七〇九条の責任を負う。

(三) 被告後藤の責任

被告後藤は、本件事故当時、河南病院の管理者として、病院に勤務する医師その他の従業者を監督する地位にあり(医療法一五条一項)、現に、同病院の医療面の指揮をとつていたのであるから、同病院の従業員である被告島田が患者搬送中に起こした本件事故につき民法七一五条の責任を負う。

(なお、右によれば、被告後藤は、河南病院の救急用自動車である島田車の運行を支配していたといえるから、運行供用者として、自賠法三条に基づく責任を負う。)

二  本件事故と安造の死亡との因果関係(争点2)

1  前記第二、二の事実、第三、一―(二)の事実、証拠(甲一一ないし一三、一九、二〇、三〇の1ないし7、三七、丙五、六、丁一ないし四、検甲一ないし四、原告壽一、被告後藤、鑑定)及び弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。

安造は、前記のとおり、本件事故により、左鎖骨々折、左第四・五肋骨々折、左肩甲骨々折、頭部外傷Ⅱ型の傷害を負い、平成二年一一月二四日午後二時ころ、河南病院へ搬送され、骨折部をバストバンドで固定された。

その際の安造の意識は清明であつたが、午後五時ころ、呼吸困難が出現したため、胸部CT検査をしたところ、両側の胸膜腔に貯留液が認められ、外傷性血胸と診断された。安造は、午後八時一五分ころ、重症患者として、ICUに入室した(当時の意識レベルはⅠ―一、すなわち、刺激しないでも覚醒している状態で意識清明とはいえない。)が、翌二五日には、意識清明となつたり、時折意味不明の発語がみられ、意識はレベルⅠ―二(刺激しないでも覚醒している状態で見当識障害がある。)になつたりした。そして、血胸は、ごく軽微であり本件事故前からの慢性貯留の可能性が大きいと判断された。ところが、午後九時ころ、安造に不穏状態が生じ、点滴を自ら抜去したりし、右状態が高じたため、担当医は、これをICU症候群と診断した。そして、全身状態が落着いてきていたため、翌二六日、安造を一般病室へ転室させた(その際、原告壽一の妻典子は、担当医に対し安造は以前から昼夜逆転していたと説明した。)。また、このとき、担当医は、呼吸抑制があるため、鎮静剤は使用しなかつた。午後二時ころには一応不穏状態は収まつたが、翌二七日午前一時ころから、不穏状態が再び強くなり、大声で、「水くれ」「側にいてくれな困る」「助けてくれ」などと朝までわめき続けた。午前七時ころには見当識障害がみられるようになり、午後四時ころには、「いたい」「お茶」「あー」といつた大声を出すなどの強い不穏状態がみられた。このように、夜間の不穏状態は強いが、昼間はいびきをかいて眠つていることが多かつた。そこで、担当医は呼吸抑制に注意しつつ、坑精神薬を必要最小限度で使用していくこととし、セルシンを投薬した。

翌二八日には、外傷性血胸について、大きな胸膜貯留液は認められないことから、自然吸収にて様子をみることになり、止血剤の投与は中止され、骨折の治療を優先することになつた。しかし、安造の夜間不穏、不眠は改善されず、昼夜逆転が続いた。担当医は、これにつき、ICU症候群の名残としての昼夜逆転であつて、昼間眠らせないことが必要であると判断し、午後九時ころ、睡眠薬のベンザリンを二錠投与した。これを服用した安造は、間もなくいびきをかいて眠つたが、翌二九日午前三時二五分ころ、睡眠中に舌根沈下を起こし、呼吸停止・心停止をきたした。そこで、当直医が挿管、心マツサージなどを施し、安造を蘇生させた。担当医は、同日行われたCT検査の結果等に照らし、安造には古い脳梗塞以外の所見はなく、舌根沈下は睡眠薬による呼吸抑制が原因であろうと判断した。そして、安造は、同日午前四時二五分、再びICUに入室し、自発呼吸を回復したが、心拍が不規則で、けいれんがみられた。このときの意識レベルは、Ⅲ―三〇〇(刺激をしても覚醒しない状態で、痛み刺激に反応しない。)であり、担当医は、低酸素による脳障害が考えられると判断した(安造は前記のとおり元来低酸素血症であり、前記蘇生後約一時間酸素が投与されなかつた事情がある。)。その後、意識レベルはⅢ―二〇〇(刺激をしても覚醒しない状態で、痛み刺激で少し手足を動かしたり顔をしかめる。)となり、翌三〇日には、一時、Ⅱ―二〇(刺激すると覚醒する状態で、簡単な命令に応ずる。)にまで改善したが、翌一二月一日にはⅢ―一〇〇(刺激をしても覚醒しない状態で痛み刺激に対し、払いのけるような動作をする。)ないしⅢ―二〇〇となり、以降、平成三年二月六日の死亡までⅢ―二〇〇のまま推移した。この間、自発呼吸はみられたが弱いものであつた。そして、安造には、平成二年一二月一二日以降、貧血、腎機能の低下等がみられるようになり、一二月二二日、気道確保のため気管切開が施行された。しかしながら、その後、心不全、腎不全、徐脈などの症状を呈するようになり、平成三年一月七日には気菅切開部壊死のため縫合糸が抜糸された。同月末には昏睡状態に入り、全身状態が極めて不良となつて、同年二月六日午前四時四二分、死亡した。なお、平成二年一一月二九日、三〇日、一二月三日、七日、一四日に行われた頭部CT検査の結果は、いずれも古い脳梗塞がみられたのみで、新たな脳梗塞が生じたとの所見はなく、一二月三日に行われた脳血管撮影では、脳動脈硬化と右中大脳動脈の狭窄化が認められたが、閉塞像は認められなかつた。

2  右に認定したところによれば、安造は、交通事故による受傷でICUに入室したためや前記痴呆状態のため、不穏状態を生じ、これを改善するために投与されたベンザリンが原因となつて、睡眠中に舌根沈下を起こし、呼吸停止、心停止の状態に陥り、その後、意識レベルを改善することなく、種々の続発症を引き起こして、死に至つたものであるから、本件事故と安造の死亡との間には因果関係が認められる。

しかしながら、前記第三、一1(二)に認定のとおり、安造は本件事故前から痴呆状態にあり、低酸素血症にり患し、HJ四度程度の呼吸機能障害があつたのであるから、右痴呆状態による昼夜逆転現象が寄与してICU症候群による不穏状態が生じたと考えられることや右呼吸機能障害が舌根沈下後の症状改善をもたらさず、死亡に寄与した面があるといわざるを得ないこと、他方、本件事故による外傷は改善傾向にあつたことに照らすと、損害の公平な分担の見地から、本件事故が安造の死亡に寄与した割合は五割をもつて相当と認める。

三  損害(争点3)

1  安造の損害

(一) 逸失利益 二二九万〇〇六六円

証拠(甲二一ないし二三、三七、原告壽一)によれば、安造(死亡時七三歳一一月)は、平成元年七月一五日に妻と死別したため、原告壽一に引き取られ、同人に扶養されるようになつたこと、安造には、恩給の傷病年金一一四万四〇〇〇円、国民年金の老齢年金二五万〇五〇〇円、厚生年金の老齢年金四万六七〇〇円の合計一四四万一二〇〇円の年収があり、これを生活費として原告壽一に渡していたことが認められる。

右事実に照らすと、安造は平均余命の一〇年間、右収入を得られたはずであり、その過半を自らの生活費に費消したと認めるのが相当であるから、生活費控除率を八割として、ホフマン方式により、年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故時の現価を算定すると、次のとおりとなる。

144万1200円×(1-0.8)×7.945=229万0066円(円未満切り捨て、以下同じ)

なお、安造の年金受給権は、被告島田及び同濱田の主張するとおり、帰属上の一身専属性を有し、それ自体が相続の対象となるものではないが、年金受給権者の安造が第三者の不法行為によつて死亡したときには、安造が生存し得た期間内に取得できたはずの年金の受給利益は、同人の逸失利益として相続により承継されると解されるので、右のとおり認定する。

(二) 慰謝料 一八〇〇万円

本件事故による傷害及び死亡に至る経緯等本件に顕れた一切の事情に照らし、原告ら主張の右額をもつて相当と認める。

(三) 入院雑費 九万円

一日あたり、原告ら主張の一二〇〇円と認めるのが相当であるから、前期入院日数(七五日)を乗じると右額となる。

(四) 合計 二〇三八万〇〇六六円

2  原告ら固有の損害

(一) 葬儀費(原告壽一の損害) 一二〇万円

本件事故と相当因果関係がある葬儀費用は、右額が相当である

(二) 付添費(原告壽一の損害) 二万七〇〇〇円

証拠(甲二五の1、2、三七、丁一 (七頁の1)、原告壽一)及び弁論の全趣旨によれば、安造の入院期間中の、平成二年一一月二四日から同月二九日までの六日間は付添看護を要し、原告壽一の妻の典子がこれにあたつたこと、付添費日額は四五〇〇円が相当と認められるので、付添費は右額となる。

なお、その余の入院期間については、本件全証拠によるも付添いの必要性は認められない。

(三) 交通費(原告壽一、同隆子、同順子、同宗男の損害)

否定

証拠(甲二四の1ないし19、二五の1ないし10、二六ないし二八、四二)及び弁論の全趣旨によれば、同原告らやその家族が安造を見舞う等(特に原告壽一と典子については、安造と同一の病院に入院していた長男純矢を見舞うためでもあつた。)のために、交通費を支出したことが認められるものの、右の見舞いは親族の情としてなされたものと認めるのが相当であるから、右交通費は本件事故と相当因果関係のある損害とはいえない。

3  まとめ

前記安造の損害合計二〇三八万〇〇六六円を、原告らが五分の一(四〇七万六〇一三円)宛相続したから、原告壽一の損害は、これに、右固有分を加算した五三〇万三〇一三円となり、他の原告らは各四〇七万六〇一三円となる。

4  寄与度減額

ところで、前記のとおり、本件事故の寄与度は五割と認められるから、原告壽一の損害額は二六五万一五〇六円、その余の原告らの損害額は二〇三万八〇〇六円となる。

四  結論

以上により、原告らの被告らに対する請求は、原告壽一につき、二六五万一五〇六円、その余の原告らにつき、各二〇三万八〇〇六円及び右各金員に対する不法行為の日である平成二年一一月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 下方元子 水野有子 宇井竜夫)